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第1回 渋谷川の水源と流路を歩く

湧水・探訪

写真と文は加藤嘉六さん

    

写真・図はクリックして拡大します。


催行日 2023年3月24日(金)+明治神宮(6月10日)

コース 笹塚駅→宇田川の水源→幡ヶ谷駅~新宿(電車移動)→新宿御苑(玉藻池など観察)昼食→玉川上水余水跡と外苑西通り→JR千駄ヶ谷駅近く→(暗渠の水路跡、キャットストリート)表参道→渋谷駅

 

今回は水源がいくつもある淀橋台地の複雑な谷の水源を見てみたいと思います。武蔵野台地(荒川~多摩川)は扇状地と海岸段丘からなり、ここ淀橋台地は扇状地ではなく、13~12万年前に海水準(平均的な海面の高さ)の上昇があって、海岸から海底に形成された(海進)によってできた海岸段丘です。海岸段丘面(下末吉ローム層面、12万年前)は武蔵野面(武蔵野ローム層面、6万年前)に比べて時代が古い分、縦横に谷が発達していて、もともとは存在した平坦部はごく一部に残っているだけです。都心部に坂道が多いのはこのためです。

玉川上水の水路

下の写真は渋谷川の源流という訳ではありませんが、スタート位置の笹塚駅前から都心に向かって伸びる玉川上水の水路です。この開渠部に流れる水は正にこの淀橋台地から湧き出る湧水です。

笹塚駅前から都心に向かって伸びる玉川上水の水路
笹塚駅前から都心に向かって伸びる玉川上水の水路

宇田川の水源

一路宇田川の水源へ。場所はJICA東京国際センタービルの裏庭にあり、ロビーを通過し坂を下ります。

人が集まっているところが宇田川の源流です。淀橋台地の湧水線は平均して15m付近です(渋谷区公式サイト)。
人が集まっているところが宇田川の源流です。淀橋台地の湧水線は平均して15m付近です(渋谷区公式サイト)。

明治神宮の谷と清正井(きよまさのいど)

明治神宮の本殿近く、参道を少し外れたところは谷になっており、昔のままの地形が保たれています。鬱蒼と繁る100年の森に囲まれた花菖蒲田の見ごろは5月下旬~6月下旬。

花菖蒲田を遡った木立の中に丸い「清正井(きよまさのいど)」の清水がこんこんと湧きだしています。

江戸初期熊本藩主加藤家下屋敷の庭園で、清正が掘ったと言い伝えられています。

上流の「清正井」などから湧き出た大量の水を湛える「南池」。
上流の「清正井」などから湧き出た大量の水を湛える「南池」。

新宿御苑の湧水(上の池・中の池・下の池・玉藻池)

次に新宿方面に移ります。

先ず新宿御苑(江戸時代高遠藩、内藤氏の江戸屋敷)は何度か行きましたが、湧水の観点からは見たことがありませんでしたので、入口の案内図にある上の池、中の池、下の池、玉藻池と順次見たいと思います。

 

上の池
上の池
旧御涼亭
旧御涼亭
玉藻池
玉藻池
エコ・歴まち歩き案内 資料より
エコ・歴まち歩き案内 資料より

新宿界隈には3つのルートがあります。

1つは内藤家屋敷内の玉藻池、2つ目はその屋敷地と千駄ヶ谷村との境界付近の谷間の湧水(上の池、中の池、下の池)。3つ目は玉川上水の余水(吐き水門から余水が流れていました)です。昔は天龍寺にも湧水があったようですが、先日の実踏では場所の確認はできませんでした。因みに四谷大木戸の地表標高は約34mです。

玉川上水余水吐き水路

下の写真は玉川上水余水吐き 水路跡です。

左が過去、右が現在の姿です。

上段右の写真の地下には下水道管が埋設されており(千駄ヶ谷幹線)、芝浦の下水処理場「芝浦水再生センター」に送られています。催行当日はその埋設管の工事のため、今回はこのような姿は見ることが出来ません。

エコ・歴まち歩き案内 資料より
エコ・歴まち歩き案内 資料より

渋谷川ってどんな川だったの?

今回の「湧水・探訪」の資料としてコンパクトによくまとめられていますので、「渋谷川ってどんな川だったの?」渋谷区教育委員会発行「渋谷の記憶」を次ページに転載します。

この中で「高骨川」(こうほねがわ)は唱歌「春の小川」の舞台となったと言われています。そのコーホネとはきれいな水場に咲く可憐な花です。

また名前のない地図の中の左側を平行に流れる川は、上が「原宿村分水(東流)」、下が

原宿村分水(西流)」です。元々あった小さな小川「代々木川」に玉川上水の水を助水しました。2本の水路の間は水田だったそうです。

渋谷川の流路

さて、ここからは余水のルート渋谷川の流路を辿ります。

途中大京町交番前交差点付近に 沖田総司逝去の地 の説明書きがあります。

新宿→千駄ヶ谷と歩いていくとかつて玉川上水・原宿村分水の合流地点がありますが、今回確認できるでしょうか(神宮前2-7付近?)。

上の浮世絵は「穏田の水車」天保元年~3年(1830―32)、葛飾北斎70歳頃の作品で、精米水車を描いています。四谷大木戸からの余水川と原宿村分水からの芝川が合流していました。絵のモデルは穏田川(渋谷川)の「村越水車」と言われているが、確定していない(神宮前交番の標識 梶山公子講演資料より)この辺りは関東大震災(大正12年)前頃までは田んぼと林が広がっていたそうです。

対比をするわけではありませんが、ブティックなどが建ち並ぶ現在の渋谷川(キャットストリート)です。道路の真ん中(車道)はかつての水路です。

明治神宮「清正の井」を水源とする湧水の水路は暗渠となって、竹下通りと平行して流れ、「ブラームスの小径」と呼ばれています。

ブラームスの小径
ブラームスの小径

渋谷川の支流「河骨川」

河骨川(こうほねがわ)は途中宇田川に合流し、渋谷駅手前宮益坂付近で渋谷川に合流します。渋谷駅地表標高は約16m。

渋谷川の開渠部

本日の終点渋谷川の開渠部です。底を流れる水は下水ではありません。なんと神田川沿いの「落合水再生センター」から送られてくる処理水だそうです。

渋谷川はこの後明治通りと平行しながら天現寺橋に向かいます。その先は名前が変わり(昔の行政区の違いによる)古川となり、JR浜松町付近で東京湾に注ぎます。