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第3回 東大に入る~根津神社~藍染川~不忍池

湧水・探訪

写真と文は加藤嘉六さん

    

写真・図はクリックして拡大します。


期日 2023年6月5日(月)

集合:時間場所 午前10時 本郷三丁目駅改札(地下鉄丸ノ内線)

東大赤門→三四郎池→赤門→根津神社→藍染川暗渠をさかのぼり~へび道~

よみせ通り~谷中銀座(昭和20年頃自然発生的に生まれた商店街)(昼食)

1次解散 → 不忍池解散

江戸城を取り巻くように淀橋台地、落合崖線、目白崖線、小日向台を訪ねてきました。

 

今回はその続きの本郷台地の湧水と上野台地に挟まれた低地を流れた藍染川(上流は谷田川その上流はなんと元は石神井川(小金井カントリークラブが水源)、いや江戸時代には小平市の鈴木遺跡(縄文遺跡とつながっていた))を歩きます。

 

現在藍染川は暗渠となっていますが、以前「谷根千」という作家森まゆみ編集、誌名で一世を風靡したことで知られている下町情緒が残る商店街となっています。

右から「上野台地」石神井川「本郷台地」小石川「豊島台地」神田川の位置図
右から「上野台地」石神井川「本郷台地」小石川「豊島台地」神田川の位置図

三四郎池

正式名称は育徳園心字池。育徳園といわれる加賀藩上屋敷の庭園で、心字池と呼ばれていました。

 

東大本郷キャンパス標高20m。

半世紀ぶりに訪れた三四郎池
半世紀ぶりに訪れた三四郎池
むかし滝はなかったと記憶しています
むかし滝はなかったと記憶しています

50年前はこんなに大きな池ではなかった。そこで東大経理部管財課に電話をして聞いてみました。今でも湧水はあるのか?滝の水はどこから?以前調査したが湧水は確認できなかった。現在は地下水のポンプアップと雨水を循環している。

 

ネット検索によると現在は建物の下になるなど水路を確認できないが、三四郎池の水はおそらく不忍池へ流れていたと思われるそうです。

根津神社

昔は小高い乙女稲荷付近に湧いた水が流れ落ちていたと思われる滝

乙女稲荷、つつじ苑下の池。この後側溝を伝って隣の池へ流れ込み、次に「神橋」を渡って東南の池へ流れ込みます(ここは催行当日工事中で、配地図を検索すると「森鴎外旧宅移築予定地」となっていました)。昭和30年頃までは湧水で池の水を賄えていたが、現在は減少、水を循環させているそうです。

かつて根津神社の湧水は藍染川へ注いでいました
かつて根津神社の湧水は藍染川へ注いでいました

藍染川跡

次に藍染川跡を辿ってみたいと思います。「へび道」と称されるようにぐにゃり、ぐにゃりと曲がっています。

 

「よみせ通り」からJR日暮里駅に向かう昭和時代の面影を残す谷中銀座商店街。

 

外国人観光客も多く見られます

不忍池

旧石神井川が注いでいました。

鈴木遺跡

今回は小平市で発見された「鈴木遺跡」に触れたいと思います。昭和49年6月、小平市立鈴木小学校の建設予定地内で発見されました。

 

石器などが数多く出土し、遺跡であることがわかりました。この発見によってこれまで江戸時代前期「玉川上水」の開通による新田開発から始まると思われていた小平の歴史が、約3万年前の旧石器時代にまで遡ることが明らかになりました。

発掘された江戸時代の水路跡
発掘された江戸時代の水路跡

遺跡は標高74m。東に開く馬蹄形で、範囲は南北に670m、東西600mに及び、石神井川のかつての源流部(谷頭部こくとうぶ)を取り囲むような場所で、人々が生活を営みその結果このような形に遺跡が残されたのです。

 

3万年~1万年前の長期にわたるホモ・サピエンスが残した生活の痕跡。出土品は陶器類、縄文時代の土器・石器など、中でも石斧(局部磨製石斧)は世界的に見ても最古に属し、旧石器時代に磨製技術が存在したことを証明する貴重な石器です(鈴木遺跡の資料抜粋)。

 

3万年前の石神井川に遡ったところでおしまい!

※石神井川を過去と現在を含めた流れで説明するのは難しい。おそらく江戸時代前の石神井川は鈴木遺跡から不忍池を経て隅田川に流れていたと思います。現在の石神井川は小平の小金井カントリークラブ付近を源流として、王子付近を谷筋に沿って南進しないで東進し、北区堀船で隅田川に注ぎます。東進の理由は人工説と自然説があって資料がないので今もってわからないそうです。旧石神井川(谷田川と藍染川)は石神井川とは別物で、やはり王子付近に谷田川という流れが石神井川の谷筋に沿って南進していて、下流は藍染川と呼ばれ、不忍池に注いでいました。